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サラエボ(2008,5/16~17)

ボスニア・ヘルツェゴビナは内戦の影響でムスリム人とクロアチア人の
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦セルビア人のセルビア人共和国
独自性の極めた高い二つの自治体によって構成されている。

その為、首都サラエボの中にも壁こそないもの
ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とセルビア人共和国との境界線がある。

観光してる分には旅行者はあまり気にならないが、
バスターミナルが連邦用ターミナルと共和国用ターミナルと
別れていたりと複雑な状況を感じられることもある。

サラエボ市内に入るまでは銃弾の跡が残る建物なども多かったが、
市内の中心地は内戦の爪後が見当たらない、
ヨーロッパの都市と同じような感じにまで復興は進んでいる。
▼内戦の面影など全く見当たらない市内中心部
サラエボ000

●サラエボ旧市街ここも復興されたのだろう。
旧市街といっても完全に復興しましたって感じで綺麗すぎて雰囲気ゼロ。
▼職人街とガイドブックでは書いていたが、ただの土産物屋ばかり・・・
サラエボ002

●サラエボ事件現場
中学の歴史で習った第一次世界大戦の発端になった場所。
ここでオーストリア皇太子がセルビア人に射殺されたた事が発端になり世界大戦に発展した。
▼ここもキレイに修復されていた。
サラエボ001

●スナイパー通りとホリデーインホテル
この通りは内戦時名前のとおりセルビアの狙撃兵がビルの上で待ち構え
女性や子供も標的にされ多数の被害者を出した通り。
▼テレビで映像が流れていたのを覚えている。
サラエボ005

そのスナイパー通りの端にあるホリデーイン。
前線から300m先の場所にもかかわらず営業を続けたため
各国ジャーナリストが滞在し、ここから世界に情報を発信した。
▼もちろん現在も営業している。高級ホテルのひとつ
サラエボ004

●サラエボ五輪施設
冬季五輪開催地だが、紛争中郊外の墓地まで死者を運べなかったため
五輪施設のグランドに埋葬した。
▼聖火台、この下に無数の墓地があるが撮る気になれなかった。
サラエボ003

アウシュビッツで書いたが負の遺産は自分にとっては
お腹いっぱいになっていた為、深く掘り下げることはしなかった。
そのためかサラエボの観光は一日で終了した。
▼見る所も一通り回ったんで公園でハトにパンやり
サラエボ006

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モスタル(2008,5/16~17)

移動を連続して行っている時は体が移動に慣れ移動が苦にならない。
逆に沈没している時は、近所の食堂に行くのもだるい・・・

旧ユーゴ圏では移動モードのスイッチがONの状態の僕達。
モンテネグロからクロアチア・ドブロブニクに戻り、
その足でボスニア・ヘルツェゴビナへのバスのチケットを買い移動した。
一日でモンテネグロ⇒クロアチア⇒ボスニア・ヘルツェゴビナと一日で3ヶ国!!
なんかやった感が湧いてくる♪

てことで、旧ユーゴ4ヶ国目ボスニア・ヘルツェゴビナに入国。
最初の町は、モスタル
現在は山間にある落ち着いた町だが、ボスニア内戦の激戦地だった。

旧ユーゴからの独立を宣言するとモスタルの町はにユーゴ軍とセルビア人に攻撃され
クロアチア人・ムスリム(ボスニア人)は町を共に守りユーゴ軍を撤退させた。
しかし、ユーゴ軍撤退後今度はクロアチア人とムスリムの間で戦闘が始まる。
モスタルの象徴だっった石橋(スタリ・モスト)もこの内戦で破壊された。
▼現在も内戦時の銃痕の跡が残る
モスタル001

内戦停戦後クロアチア人とムスリムは、ネレトバ川を挟んで東側にムスリム
西側にクロアチア人と居住区を分けて生活、政治的にも分断され双方の往来はなかった。
そんな中1999年からユネスコなどの協力もあり民族和解の象徴として石橋の再建が行われた。
▼祭りの時はここから川に飛び込むらしい
モスタル002

▼こんなのどかな町で銃弾が飛び交っていたとは想像できない
モスタル003

ユーゴスラビア崩壊時の混乱については、また後日まとめて記事を書きます。

ユーゴスラビア紛争

今回はお勉強の時間です!!
旧ユーゴ圏の記事を読む前に参考にどうぞ。
文章多いんで面倒な場合は読まなくても問題ないです。

◆ユーゴスラビア紛争
1989年に東欧で次々と革命が起り共産主義政権が崩壊していく中、
セルビアではミロシェヴィッチ大統領率いるセルビア民族中心主義勢力が力を持つ。
それに対しスロベニアとクロアチアは各共和国に大幅な自治権を認める改革を提案したが、
セルビアとモンテネグロはこれに反発し、対立が深まった。
その結果旧ユーゴ構成国の中で独立の気運が高まりスロベニアの
独立を皮切りに各国が独立を宣言していった。

現在、ユーゴスラビア連邦の構成共和国だったスロベニア、クロアチア、
ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアと
セルビアの自治州だったコソボが現在単一国家として存続している。

●スロベニア
1991年6月、スロベニアが最初にユーゴスラビアから独立を宣言。
これに対しセルビアが主導するユーゴは独立阻止のため
連邦軍をスロベニアに送ったが用意を周到に行っていたスロベニアは
わずか10日でユーゴ軍は撤退させ独立を勝ち取った。

●クロアチア
スロベニアに次いで独立を宣言したが、スロベニアのようには
うまくいかずクロアチア紛争が勃発し長期化した。
最終的には国連の調停やNATOの介入によって、1995年のデイトン合意で終結した。
▼ドブロブニクを一望できる山にあるケーブルも紛争時に破壊された。
ユーゴ01

●ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナは1992年3月に独立宣言をした。
しかし、国内で独立に反対するセルビア人と賛成派のクロアチア人・ムスリム
(ボスニア人)が対立し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こった。
セルビア人・クロアチア人・ムスリム(ボスニア人)の混住がかなり進行していたため
状況はさらに深刻で、セルビア・クロアチア両国が介入したこともあって戦闘は泥沼化した。
クロアチア紛争と同じく国連の調停やNATOの介入によって、
1995年のデイトン合意で最後は終結した。

●モンテネグロ
他の旧ユーゴ国と違い独立を選択しなかったモンテネグロだが
セルビアと共に経済的制裁、政治的な制裁を受けることになり、
これに対しての不満がモンテネグロ独立運動がはじまり、
最終的には国民投票によりモンテネグロは連合を解消して独立した。

●マケドニア
1991年、ユーゴ解体に伴い、マケドニアは独立を宣言。
1992年にに連邦軍が撤退して
旧ユーゴ構成国の中で唯一無血で独立を果たした。

●セルビア
旧ユーゴの中心国だったがユーゴスラビア連邦の崩壊で2003年から
連合形式を変更しセルビア・モンテネグロとして緩やかな連合国家を形成したが
2006年にモンテネグロが独立し自動的にセルビアも独立した。

●コソボ
セルビア政府はクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナで出たセルビア人難民を
コソボ地域に移住させたためアルバニア系の住民に抵抗運動が激化し、
1998年にコソボ解放軍とユーゴ軍との間にコソボ紛争が発生した。
介入したNATO軍による空爆などを経て、2000年にユーゴ軍はコソボから撤退し、
和平協定に基づき国際連合コソボ暫定行政が設置され2008年2月に独立を宣言た。
2008年8月の時点で独立を承認しているのは、国連加盟192国のうち46国にすぎない。
日本政府はコソボの独立を認めている。
▼ベオグラード市内にあったポスター。日本語以外にも複数の言語で書かれたのがあった。
ユーゴ02


記事参考:Wikipedia
プロフィール

よ~じ&ナナ

Author:よ~じ&ナナ
2007年6月1日から
2009年9月17日まで
世界一周の旅に出ていました。

現在地 2015/08/29
日本・高松
転勤で四国に移動!
四国での生活を満喫中♪

旅した国◆67カ国
中国・ネパール
インド・UAE・トルコ
ギリシャ・イタリア
バチカン・スペイン・モロッコ
ポルトガル・フランス
ベルギー・オランダ・ドイツ
フィンランド・エストニア
ラトヴィア・リトアニア
ポーランド・チェコ
オーストリア・スロバキア
ハンガリー・スロベニア
クロアチア・モンテネグロ
ボスニアヘルチェゴビナ
セルビア・ブルガリア
マケドニア・グルジア
アルメニア・イラン
シリア・レバノン
ヨルダン・イスラエル
パレスチナ・エジプト
イエメン・エチオピア
ケニア・ウガンダ
ルワンダ・タンザニア
マラウィ・ザンビア
ナミビア・南アフリカ
アルゼンチン・チリ
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