デリーⅡ(2007.12/15~17)
●デリー観光~その2~
ダラムシャラーの後はリシュケシュによる予定だったんですが、
ダラムシャラーでのんびりしすぎた為、リシュケシュはパスして
デリーに戻ることにしました。
デリーに戻り前回の観光の続き♪
デリーにはあまり惹かれる見所はないと前回のデリーで書きましたが、
唯一ここだけは行ってみたいというのが1つだけありました。
それはインド建国の父と言われているガンジーの最後の場所です。
インド独立運動の指導者とし活躍したガンジーは晩年は支援者の1人
ビルラー財団のデリー邸で過しました。
そして1948年1月30日の夕刻、中庭にある寺院に祈りを捧げに行く途中
で邸宅に侵入した極右青年にピストルで打たれなくなりました。
▼現在邸宅はガンシー・スミムリティ博物館になり公開されています。
▼博物館内にあるガンジーと奥さんの人形。まるで生きてるみたいでちょっと怖いです・・・
▼ガンディーがの最後の足跡が印されています。
うすぺらい知識しか持ち合わしていませんが、インドを旅していると
自然と興味が沸く人物であった為、一度訪れておきたいと思いました。
知識の補完は日本に帰ってからという事で・・・・
ガンジー博物館の帰りにおまけで寄ったインド門
▼なんだかバランスが悪い気がしたんですが・・・
てな感じでデリー観光を済ませ、さ~イスタンブールに向うぞ~!!
ってここデリーからじゃないんです・・・
何故か地方都市のジャイプルから、詳しくはUAE編で先行して書いたんで
読んだ人なら分かると思います!読んでない人はUAE編を是非読んで下さい!
という事で再びジャイプルへ移動
ダラムシャラーの後はリシュケシュによる予定だったんですが、
ダラムシャラーでのんびりしすぎた為、リシュケシュはパスして
デリーに戻ることにしました。
デリーに戻り前回の観光の続き♪
デリーにはあまり惹かれる見所はないと前回のデリーで書きましたが、
唯一ここだけは行ってみたいというのが1つだけありました。
それはインド建国の父と言われているガンジーの最後の場所です。
インド独立運動の指導者とし活躍したガンジーは晩年は支援者の1人
ビルラー財団のデリー邸で過しました。
そして1948年1月30日の夕刻、中庭にある寺院に祈りを捧げに行く途中
で邸宅に侵入した極右青年にピストルで打たれなくなりました。
▼現在邸宅はガンシー・スミムリティ博物館になり公開されています。
▼博物館内にあるガンジーと奥さんの人形。まるで生きてるみたいでちょっと怖いです・・・
▼ガンディーがの最後の足跡が印されています。
うすぺらい知識しか持ち合わしていませんが、インドを旅していると
自然と興味が沸く人物であった為、一度訪れておきたいと思いました。
知識の補完は日本に帰ってからという事で・・・・
ガンジー博物館の帰りにおまけで寄ったインド門
▼なんだかバランスが悪い気がしたんですが・・・
てな感じでデリー観光を済ませ、さ~イスタンブールに向うぞ~!!
ってここデリーからじゃないんです・・・
何故か地方都市のジャイプルから、詳しくはUAE編で先行して書いたんで
読んだ人なら分かると思います!読んでない人はUAE編を是非読んで下さい!
という事で再びジャイプルへ移動
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